80年代コミケでの「ラムちゃん」コスプレに反響!漫画家・一本木蛮先生に当時のエピソードを聞いてみた

今見てもキュートでセンセーショナルなラムちゃんコスプレ誕生秘話
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今や日本における文化の大きな一角を担っているといっても過言でない「コミックマーケット(以下、コミケ)」。2021年12月に、コロナ禍以来約2年ぶりに開催され、大きな話題を呼んだ。

コミケの名物コンテンツとして挙げられるのが、コスプレだ。自分が好きなキャラクターや、エキセントリックな仮装まで、ありとあらゆるモチーフの衣装に身を包んだコスプレイヤーたちが会場に集い、その様子もまた毎回注目されている。

そんな中、コミケでのコスプレ文化が花開いた最初期(80年代前半)に撮影されたレイヤーさんの写真が話題になっている。写真の主は、名作『うる星やつら』のヒロイン・ラムちゃんの衣装に身を包んだ、漫画家の一本木蛮先生(@bang_ipp)だ。

その姿はとてもキュート&センセーショナル。当時のコミケの様子や、コスプレ参加した時のエピソードが気になったトゥギャッチ編集部は、一本木先生に詳しく話を伺ってみた。

ポロリもあった!波乱万丈なコスプレデビュー

一本木先生が初めて同人イベントに参加したのは、1982年3月に川崎市民プラザで開催された「コミックスクエア」だったという。

初めてコスプレでコミケに参加した時の思い出を教えてください

思い出(笑)もちろん、戸惑いもありました。同人誌即売会自体、行くのが初めてだったからです。 ラムちゃんの姿でうる星やつら系の同人誌を眺めて買ってしていると「本人きたぞ!」「ラムどのー!」「けっこんしてください!」「でーんーわーばーんーごーうー」など、うる星やつらの中に出てきそうなリアクションを周りの人がしてくれて楽しかったです。

私のコスプレ姿を多くの人が撮影してくれたのですが、事故が起きます。ポロリです。カメラに囲まれている中で、です(『同人少女JB』読んで下さい!)。しかしそのあと、ポロリ写真はどこにも出てきませんでした※。ポロリの瞬間もカメラを向けてくれていた人たちがあんなにたくさんいたのに…。

今ならすぐに誰かがどこかで拡散してしまいそうですが。 後になって、あれは熱量と仲間意識だったんだと理解できました。「もしもそんな写真が出回ってこの子が二度とコスプレしなくなったらどうしよう」とみんなが考えてくれたんだと思います。優しいですね。

イベントに参加したことがきっかけで、この年に漫画家デビューできました。お友だちもたくさん増えました。のりしろになってくれた高橋留美子さんとラムちゃんに本当に感謝しています。

※当日の一本木先生のラムちゃんコスプレ写真は、開催後さまざまな雑誌などに掲載されたそう。

一本木先生がコミケに初参加した時のエピソードは、一本木先生の自伝的作品同人少女JB(双葉社)の中に詳しい。コミケ初参加の様子はもちろん、一本木先生がラムちゃん姿で『うる星やつら』原作の高橋留美子先生に会うシーンなど、胸熱なエピソードが目白押しだ。

同作品は一本木先生版『アオイホノオ』と言われているらしい(Amazon.co.jp)

最初のコスプレにラムちゃんを選んだ理由も伺いたいです

好きだから。可愛いから。他に理由はありません。

ただ、最初迷ったのは弁天とラムちゃんでした。弁天さんだとバイクにもまたがれそうだしキャラ的にも…って思ったのですが、衣装の造型が難しくて無理っぽい~となりました。

悩んでいる時に、友人から「あんたはどう考えてもラムちゃんでしょ、きっと弁天さんは背が高いよ」「そもそもラムちゃんに似てると思うんだけど?」と言ってもらえたので、大好きなラムちゃんになりました。

コスプレではなく「仮装の人」と呼ばれていた

コミケに初参加した時、ほかにコスプレしている人はいましたか?

全体の参加者人数も今と随分違うのでどのくらいかは正確にわからないのですが、いました。コスプレという単語はまだ生まれてなく、当時は「仮装の人」と呼ばれていました。売り子が客寄せ的に、好きなキャラクターの装束でブースにいることが多かったですね。

しっかり全身コスチュームの人もいれば、上半身だけとか、キャラクターが身に着けているアイテムだけの人(角だけ…猫耳みたいな)など、手作り感あふれる雑多な感じでした。今のようにバチっと決めたレイヤーが一か所に大勢いる形ではなく、なんか中途半端な仮装の人も含めて、あちこちにいる感じでした。

この辺りは同人誌『コスプレ記史』で深掘りしているんで読んで見て下さい(笑)。

ちなみに私は「コミケに行けば仮装ができるんだ!楽しそう!」となんだかよくわからないまま、買い物参加者なのにラムちゃんに着替えてウロウロしていました。おかしいでしょう?

初参加以降も、コミケに参加するときはラムちゃんのコスプレをしているのでしょうか

いいえ、全身ラムちゃん、実はコミケではたった1回だけなんです。たった1回のラムちゃんが、私のその後の人生を大きく変えてくれました。

最初の1回のラムちゃんコス写真は、良くも悪くもあらゆる媒体(アニメ雑誌から俗悪エッチな雑誌まで)に載ってしまったのですが、すっごく嬉しかったです。「なんだかんだ言って普通に涼しい顔した世間の人もコスプレや二次元にも興味あるでしょ!ほらほらこの通り!マニア雑誌やアニメ雑誌じゃない本にこんなに載ってるってことは、見たい人がいるってことでしょ!」って。

 漫画家デビューした後は自分の作風もあるので、ラムちゃん色になりすぎないように?飛び飛びにラムちゃんしています。いろんな国で。

一本木先生のラムちゃんコスは、今でも現役バリバリ。SF作家で、ラムちゃんコス仲間の菅浩江先生と共に、「還暦になったら一緒にラムちゃんやろうね!」とも約束しているそう。

2022年1月投稿の最新ラムちゃん

長年コミケに参加される中で、コミケのコスプレ文化にどんな変化があったと感じますか

同人誌即売会ですから、コスプレは初めオマケみたいなものでした。それが手作りからどんどんスタイリッシュに進化していって、一つのひとつの表現の場・ジャンルになってくれてうれしいです。そういう楽しい・仲間もできる・やってもいいんだ!という場所を後輩たちにバトンできたことは誇りに思っています。

コミケという大きなゆりかごは「全ての表現者のハレの場」として米澤嘉博さん※が未来を指さしてくれました。コスプレ参加者の住み分けを工夫してくれたり…もうコミケット準備委員会さまさまです。

開催場所や時代が変わっても、コミケの熱気は変わらない

コミケはね、富士山のてっぺんじゃないんです。富士山を支える広い広い裾野なんです。エロかろうがコスプレだろうがなんだろうが、そこから大きく羽ばたいていく人たちが沢山いるんです。

そしてコスプレイヤーたちは、有象無象も魑魅魍魎もあらゆる日本文化のカッティングエッジが詰まった裾野を彩る妖精たちみたいなものです。いいぞいいぞ!もっとやれ!!!って思っています。 コミケは全ての表現者のハレの場、コスプレは晴れ着ですから。

※漫画評論家。1980~2006年にかけて、コミックマーケット準備会第2代代表を務めた。

80年代当時のコミケの空気や、コミケにおけるコスプレ文化がどんな流れを経て今に繋がっているか垣間見ることができる、熱くて貴重なお話だった。一本木先生、お忙しい中ありがとうございました!

一本木先生の話を読んで、当時のことやコスプレ文化についてもっと深く知りたい!と思った人は、ぜひ一本木先生の『同人少女JB』や『コスプレ記史』を読んでみては。

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