「個性」と「わがまま」の違いは? クラスのみんなが『晴』と書く中で『雨』と書くのは個性ではない
教育の現場でも度々話題になる「個性」について。Twitter上では現在、それについて述べたツイートが話題になっている。
「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいだろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」という小学校の担任の先生の話はよく覚えている
— 原田 (@harudajin) 2015年11月29日
投稿者が小学生の時に、担任の先生が話したというこちらのエピソード。ツイートによると「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ! すごいだろう!! と言ってもそれは個性とは認められません(原文ママ)」と述べている。
これは分かりやすい例え!反社会的性質、非同調性、天の邪鬼、我が侭。これは個性ではなく単なるカオス傾向。自由の意味をはき違える無責任な人間にこういうの多い。 https://t.co/our8yoci15
— 押し目犬 (@inukendog) 2015年11月29日
この例えは素晴らしいな。若い時は履き違えるんだよねぇ(^_^;) https://t.co/c7ZnhEx5E7
— とっくん (@tokkun01) 2015年11月29日
「雨」って書く子が個性的で才能がある子の可能性もあるけど、それは「晴」って書いた誰よりも上手であるか、もしくは感動させる「雨」を書ける子なんだよな。ただ闇雲に人と違う事をして個性を探るのは、秩序と自分に対する破壊行為。
— 九十九(川上投人)@成り上がりプロレス (@kibibeam) 2015年11月29日
これに対し、「先生の意見に賛成」「分かりやすい例え」とほかのユーザーたち。しかし、反対意見があるのも事実だ。
果たしてそうだろうか。その先生が個性という言葉の意味のうち自分の好きな一面だけを見て好き勝手言ってるようにしか……。 https://t.co/82CGtFQZXD
— riso (@aoriso) 2015年11月29日
皆が「晴」と書いてる中、「雨」と書く子が「ただの目立ちたがり」って思うあたり、それが小学校の先生っていうあたり、私はすごく悲しいのです。
— 更庭春子(作品・譲渡垢) (@saraniwaharuko) 2015年11月29日
あと、晴と書きなさいという出題に 雨と書いて 自分は個性的だ!って言うの、「あなたの晴は何て汚い字なの!!止めもハネもなってないわ!!正しくはこう!!!」って言われるのを無意識に避けてるような印象もあるなあ
— あかりや (@kuhp) 2015年11月29日
晴と書くのが天気の記録のためか、習字の課題なのか、好きな文字を書いていいよと言われたのかで、雨と書くことの意味は変わる。ただ、いずれのケースであっても、「みんなと違う文字を書くこと」が目的である場合、その人のあり方は結局「みんな」によって規定されるので、個性ではない。
— はと (@haben35) 2015年11月29日
さて、あなたはこのツイートに対し、どのような感想を持っただろうか?