Twitterユーザーの気持ちは「徒然草」と同じ?
親戚の高校生が「古典が面白くない」というので「徒然草ってツイッターやってる気分なんだよ」と教える。「徒然なるままに日暮らし、硯に向かいて心にうつりゆくよしなし事を書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」は「毎日毎日モニタ眺めて日々の雑記を書いてたら少し狂ってきた」て意味だし。
— たられば (@tarareba722) 2013年6月8日
上のツイートが、Twitter上で拡散している。
日本三大随筆の一つと言われる吉田兼好の「徒然草」は、「徒然なるままに日暮らし」という冒頭の下りが有名だ。
この下りを現代風に言い直すと「毎日毎日モニタ眺めて日々の雑記を書いてたら少し狂ってきた」という意味になるという。
ちょっと違うがだいたいあってるぞ:) > 『徒然なるままに日暮らし、硯に向かいて心にうつりゆくよしなし事を書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』は『毎日毎日モニタ眺めて日々の雑記を書いてたら少し狂ってきた』て意味だし。
— Kusakabe Youichi (@void_No3) 2013年6月10日
この解釈は意訳し過ぎていることもあってか、正確ではないようだが大体合っているようだ。
昔の人も何となく気になったことを書いていると、Twitterをやっている人と似たような気持ちになったのかもしれない。
そう考えると、古典も親近感を持って読むことができるかもしれない。